50周年特別企画 Special 50th Anniversary Plans

株式会社東日本大震災事業者再生支援機構 代表取締役社長 池田憲人 氏

 文化を体感することが、グローバルビジネスの原点になる

 

銀行員時代に米・ワシントン大学で開催された米国夏期ビジネス講座(*注)に参加され、現在も当時の参加メンバーと交流を続けられている株式会社東日本大震災事業者再生支援機構 代表取締役社長 池田憲人 氏にお話しを伺いました。

参加のきっかけ

—どのようなきっかけで研修に参加されたのでしょうか?

当時勤務していた横浜銀行は、海外部門を強化するために毎年20年間程、行員をCIEE講座に派遣していたと思います。希望者からの選考ではなく指名制でした。僕が参加したのは1982年ですが、その時がその講座に派遣する最後の年でした。それ以降はニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、メキシコなどに海外支店ができ、海外にコネクションもできたため、銀行から直接研修に出すことになりました。

 

僕以外の参加者は、皆若手で、将来国際業務をやろうという人間ばかりだったのです。僕はそれまでにMBAを取りに行ってこいと言われたのですが、2度連続で辞退しました。国内の業務が忙しかったこともありますが、まぁ自信もなかったのかもしれません。その年が最後の派遣だったので、どうしてもということで副頭取から僕に指名が入ったというのが、参加のきっかけです。

—その時が初めての海外渡航だったのでしょうか?

そうです、飛行機に乗るのも初めてでした。搭乗したジャンボジェット機が落ちてしまわないか不安になったくらいでした。

—到着してからの体験はいかがでしたか?

今も鮮明に覚えているほど強烈な体験でした。外国というものはこういうものかと。到着したのはサンフランシスコだったのですが、40名ほどの仲間と一泊しました。夜寝ていると「バンバン」と音がして「アメリカってこんなに怖いところなのか」と思いました。その後、バスで移動して途中のBedfordという場所でモーターインに泊まったのですが、日本的な語感のイメージとは全く異なり、非常にきれいな所でした。アメリカ到着時は出身銀行の者同士で集まっていたのですが、Bedfordに着いてからは、自分たちは同じ船に乗ったという感じになったんですよ。それで、みんなバラバラにご飯を食べに行ったりして交流ができました。40名が仲間になった一番初めの場所でした。その後ワシントンへ移動するバスの中は非常に楽しかったですね。

アメリカ文化体験の思い出

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—ワシントンでの生活で印象に残っていることはなんでしょうか?

研修は6週間あり、ドミトリー(寮)に滞在していましたが、僕が非常に良かったと思うのは、期間中にホームスティを設定してくれたことです。理科の先生のお宅に2泊3日させてもらいました。家族の皆さんは日本のことはあまり知らず、日本語も全くわからず、僕も一生懸命しゃべってくれている英語もよくわからずという状態でしたが、身振り手振りで非常に歓待してくれました。親戚全員を呼んで庭でゲームをしたり、ガーデンパーティを開いてくれたりしました。僕のことをNoritoと呼んでくれて大人から子どもまで「Norito, did you enjoy?」と聞いてくれて。ケーキやレモネードが日本よりずっと甘いこと、食べる量の多さにも驚きました。先生の勤め先の学校へ学芸会を見に行ったりもしました。「こっちでも日本と同じように学芸会をやるのだな」と知ることができ、貴重な2泊3日の体験でした。とても親切にしてもらって非常に感謝したというのが最も印象に残っている出来事ですね。

(写真)「殿軍」:しんがりの部隊。最後尾で、敵襲に備える部隊の由。震災支援機構の職員も、被災事業者の最後尾で一緒に戦っていくという決意を象徴するお言葉です。

—授業やドミトリーでの生活はどのようなものだったのでしょうか?

午前中はまず英語の勉強でした。上からA、B、C、Dとレベル分けされました。若い参加者とは10才位の差がありました。彼らは言葉に敏感でしたが、年長組は僕も含めてそれまでジャパニーズ・オンリーできたので、単語も限られていて成績がいいわけではないんです。同年代はDクラスに入った者が多かったです。クラスごとに対抗戦をやることなり、片道3時間程かけてマウントレーニアの中腹に行き、ソフトボール大会を2回程やりました。昼食には先生方が大きなピザを用意してくれて、当時はピザも初めて食べる経験でした。そのようなことをやってくれたのが非常に思い出に残っています。

ドミトリーでは、管理人が日系のアメリカ人で、夜僕たちのところへよく話しにやって来ました。日本語が話せない方だったので、会話はすべて英語。英語学習に意欲のあるメンバーはそこで勉強していました。そのような仕組みがあって良かったなと思いました。金曜日は授業が午前中だけだったので、金曜日の昼から週末にかけてはカナダのバンクーバーやビクトリアを旅行しました。あっという間の6週間をとても楽しめました。

グローバルビジネスの原点とは

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—研修に参加されて感じられたことは何でしょうか?

アメリカ人といろいろ話をした中で印象的だったのは、向こうの方々は日本に比べて離婚率が高いので、「日本の場合は皆我慢をする、その理由は・・・」とあれこれ言うと、彼らは「嫌いになったら理由なんて関係ない。別れればいい。」というようなことを言っていたことです。その時「あぁ、文化ってこんなに違うのか」と思いました。

仕事でも日本人だと、YESかNOかという場合に、条件付きで言います。言葉には出しませんが条件を付けて我慢しますね。「しょうがない、あいつもいい所あるからな。」というような我慢です。これが日本のビジネスの基本になっていて、銀行契約もお互いを信頼するということがベースにあります。欧米では嫌になったら信頼関係もなくなっているのだから止めてしまう。海外とビジネスをやるときにはその発想でなければだめだという思いが僕の中に芽生えました。「問題が起こった時に互いに協議する」というのが信義則ですが、向こうでは「何か問題があったら何某地裁へ持ち込む」というのが明確に決まっています。問題が起こった時にお互いに協議してもぶつかり合うだけですから、やはり第三者を入れて調停してもらうということにしないといけない。「信義則」というのは海外では通じないと思いました。「我慢か離婚か」という文化の違い、ビジネスもこの発想なのだと分かりました。

中国人も発想は欧米人と同じです。双方協議、信義則ということはありえない。グローバルビジネスというのはそのようなものだと思います。この基本を疎かにしてテクニックだけでやったらどこかでトラブルが起きます。何か問題が起こった時に双方の考えが通じないという場合は、結局発想の違いあるからです。ですから、海外の文化・生活に慣れ発想の違いに気づくことが海外とのビジネスの原点だと僕は思っています。

僕は、金融界向けの講演や、4年前に始めたキンザイの「金融経営塾」でも、30年前に自分が体験したような、1か月間海外の学校へ行って帰ってくるというようなものをやってもよいのではないかと提案しています。もし僕が銀行の頭取であれば、英語圏だけでなくフランス語圏でもスペイン語圏でも、インドが良いというならばインドでも、皆で行ってみるというようなものをやりますね。

当時のメンバーと再びワシントンへ

—当時参加された皆さんと「スルメ会」というのを作って集まっているというのをお聞きしました。

メンバーと別れる時に、せっかくだからこの40名のネットワークを続けて年に1回集まろうということになりました。「スルメ会」という名前の由来は、当時シアトルに「宇和島屋」という日本料理屋さんがあって、そこでスルメを買ってきて焼いたら、煙が出て消防車が2、3台来てしまったという騒ぎを起こしてしまったことです。その時、日本人の発想で一升瓶を持ってお詫びに行こうとしたら、それは贈賄になってしまうから駄目だと言うんです。それもアメリカというものを知り得た出来事のひとつだったので、そこから名前が付きました。

(写真)2012年、30年ぶりのシアトル訪問。前列右から3人目が池田氏。前列左から三人目は、クリストファー C. ギルマン氏(当時ワシントン大学エデュケーショナル・アウトリーチの上級ディレクター)。日米教育委員会にも勤務され日米間の教育交流に多大なる貢献をされたギルマン氏は、2014年夏にご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

僕が名誉会長を務めています。滋賀県の温泉旅行から始まり30回以上開催しています。毎年場所を変え最近でも博多、大分、京都、札幌などいろいろな所へ行きました。2012年はちょうど30周年で、僕たちが仲間となったシアトルの地へもう一度行こうということなり、16名の仲間が集まりました。ワシントン大学のギルマンさんも感激してくれて「こうやって戻ってきてくれたのは非常に嬉しい」と言ってくれました。

それから5年毎にシアトルに行こうということを話しています。当時はシアトルからカナダに行ったので、今度は南の方へ行ってからシアトルへ行ってみようかとも思うのですが・・・。

これから海外へ向かう人へのメッセージ

—これからキャリアを積みたい、海外に行って活躍したい、希望している、あるいはどうしようか悩んでいる若い人たちへ向けてのメッセージをお願いします

「グローバル化」と言うと、まずは言語が先行しがちです。もちろん言葉ができることに越したことありません。しかしながら、やはりグローバルでいろいろなことをやっていくには肌の触れ合い、文化・交流が重要だと思います。その基本がないと言葉ができてもどこかで行き詰ってしまうと思います。言葉を勉強するのと同時に、体感をすることが重要です。体感できる機会があれば是非その機会を利用したほうが良いと思います。積極的に行けばそれが10年20年後には絶対にプラスになってくると信じています。

―どうもありがとうございました。

  • special05_profile
  • 池田 憲人(いけだ のりと) 氏

    昭和45年04月 横浜銀行 入行

    平成13年04月 代表取締役 最高財務責任者(CFO)

    平成14年04月 代表取締役 最高人事責任者(CPO)

    平成15年07月 横浜キャピタル株式会社 代表取締役会長 兼 横浜銀行 取締役

    平成15年12月 足利銀行 代表取締役 頭取

    平成20年07月 A.T. カーニー 特別顧問

    平成21年07月 ~平成22年05月  新生銀行・あおぞら銀行 顧問 

    平成24年02月~現在  株式会社東日本大震災事業者再生支援機構 代表取締役社長

  • 勝 悦子 先生

    勝 悦子 先生

    明治大学政治経済学部教授

  • 柳沢 幸雄 先生

    柳沢 幸雄 先生

    開成学園 開成中学校・開成高等学校校長 東京大学名誉教授/工学博士

  • 石倉 洋子 先生

    石倉 洋子 先生

    一橋大学 名誉教授

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