50周年特別企画 Special 50th Anniversary Plans

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 アメリカで出会った平和を愛する心に感銘

 

CIEE日本代表部設立の年、1965年に実施の第1回「アメリカ夏期大学講座」に参加された佐藤直史先生(帝京大学理工学部名誉教授)に、当時の研修内容やホストファミリーとの出会い及びその後に活かされた学びの体験についてお話しをうかがいました。

時代の潮流に招かれた

—1965年のプログラムはどのような経緯でお知りになり参加されたのでしょうか?

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背景としては、「戦後」の海外渡航の自由化がその前の年あたりから始まりましたが、1ドルが360円でして、外貨の持ち出しの制限が緩和されたとはいっても、経済的にはまだきびしい時代でした。それで、アメリカの大学で学べるなんて、ほんとうに夢でした。その時に明治学院大学の国際交流プログラムもスタートしました。アメリカ・ミシガン州ホランドのホープ・カレッジという大学が姉妹校でしたので、当時そこから派遣されて教鞭を取っていた教授の先生方がたくさんいました。その流れで学内の選抜試験によって一定の語学力と向学心のある者を参加させるという形で国際交流が1965年にスタートしました(注1)。ですから、ある意味では時の流れに招かれたという部分があるかと思います。

その時私は米文学専攻で、黒人作家J. Baldwin研究の大学院一年生でした。アメリカで学べるなんて、まったくの夢でした。それが突然の研修生募集ということで、選考試験を受けたところ予期せずにその留学の切符をいただき、夢が現実となりました。

(注1) 「アメリカ夏期大学講座」の研修大学は、ホープ・カレッジ、サン・ノゼ州立大学、ウエスタン・ミシガン大学の3校で、102名が参加しました。ホープ・カレッジは姉妹校である明治学院大学の学生がほとんどでしたが、その他の大学の学生も若干受け入れました。

初回のレポートを「貝の殻!」と酷評されみな奮い立つ・・・

—当時のプログラム内容はどのようなものでしたか?

6月上旬にチャーター便のジェット機でサンフランシスコへ旅立ちました。サンフランシスコ到着後はバスで一路ホープ・カレッジのあるミシガン州のホランドへ向かいました。ネバダ州、ユタ州のソルトレイク市、コロラド、ネブラスカの西部諸州で宿泊しました。上流のミシシッピ川を渡ってアイオワ州のデモインを通過し、シカゴ市内見物の次に、やっとホランドにたどり着きました。ホランドというのは日本語でいう国、オランダのことです。オランダ系の移民文化の特色、つまり、風車や木靴工芸、チュ―リップ畑などのある学園都市で、当時のすすけた日本から来た私たちには、緑豊かで、とても清潔な環境に見えましたね。

「アメリカ研究」を広く学びました。小さな町に50種の違った新教の教会があると聞いてまずカルチャーショックを受けました。それから緑のキャンパスがとても広く、芝生の散水による見事な虹、あちこちにひょうきんなリスのいるのどかな光景を見たのもカルチャーショックでしたね。社会学の授業では「ワスプ」(WASP:ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)という言葉が出てきて、それが社会階層の主流だと耳にした一方で、エスニックな体験もありました。アフリカのガーナからの留学生で肌が黒い青年と初めて意見交換し、肌の黒さに以上に、あからさまな白人文明の批判には驚き、カルチャーショックを隠せませんでした。

 

—どのような講義を受けましたか?

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25人くらいのグループで、心理学や教育学、アメリカの宗教、文学、社会学などの講義を受けました。講義では、関連するビブリオグラフィーやリファレンスブックが紹介されました。講義に加えて、それらを読んで、考えるがことが大事だと教えられ、講義が終わると少ない文献を求め図書館へ走りましたね。読んでは、週末にレポートを提出するという作業の繰り返しなので、週中は忙しかったです。

写真:当時の授業の様子(最前列右から二人目が佐藤先生)

 


—書いたレポートは先生方が添削したりコメントをくれたりということがあったのでしょうか?

最初、皆がみな言われたのは英語の作文の授業で“empty shells”という評価でした。レポートが空っぽの貝、中身が希薄だというコメント(笑)。「もっと本気で掘り下げないとだめだ」と感じ、先制パンチのいい刺激でしたよ。日本では英語劇やディベートをしたりして大学生としては多少英語がわかると勝手に思っていたようでした。しかし、前向きな批判の精神や自分の考えをしっかり主張することを評価する米国の価値基準に不慣れで、論争をさけたいという日本人の「遠慮文化」がサイドブレーキのようにメンタルなバリアーになっていました。全体として、あの時のクラスの英語の語彙力は米国のハイスクール程度だとのことで、またもやカルチャーショックでしたね(涙!)。

平和を愛するホストファミリーの医師との出会い

—ホームステイについてお聞かせください。

私が院生だったこともあって、ドクターのお家をあてがっていただき、診療クリニックを開いている内科、産婦人科の先生と一緒にとても密度の濃い交流ができました。実はその先生は、広島と長崎に原子爆弾が落とされた直後、医療の調査団の一行として広島に行かれたのだそうです。その惨状を見た経験があり、日本からの留学生ということもあり、心の痛みのようなものをお持ちになって接してくれていたようです。毎日のように「今日はちゃんと食べたかい?」とか「お小遣いはまだ残っているの?」などと聞いてくれるので、なんでそこまでしてくれるのかなと思っていました。しかし、そのような体験をうかがって、その思いが理解できました。「戦争はダメ、平和こそ大切なんだ、そのために、国際交流は大事なんだ」という気持ちを感じました。因みに、後のニューヨーク国連本部前にあったモットー:「剣をすきの刃に、槍を刈込のはさみに変える」[聖書のイザヤ書2:4]という平和の回復にかかわる言葉が印象的でした。 ドクターのその時の優しい視線と言葉と気遣いがいまだに心に残っていますね。

 

アメリカ周遊 「99 days for 99 dollars」

—大学研修後は、大陸横断旅行をしたそうですが、どういったものでしたか?

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アメリカのグレイハウンド・インターナショナル社の企画で、「99日間を99ドルで」全米のバスネットワークを乗り放題という格安ツアーを利用できました。80日間世界一周じゃないですけれども、99日間アメリカ周遊というもので、クーポン券のようなチケット束が参加者一人ひとりに渡され、無くなるとまた発行してくれるというシステムでした。だから仲間から離れて、個人として、バッファローから、コーネル大学のあるイサカに行ったときにもそのチケットを使えました。


写真:記念誌「Hope College Memories」からの抜粋


ある時は夜通し走ったこともありました。それで、ホテルに着いたら朝の4時。3~4時間仮眠して、シャワーを浴びて、急いで朝食を食べて、次へGO!という感じでしたね。学生時代で、まだ体力がありましたから。アメリカに行ってから草食人間が突然肉食になりまして、その時の影響で、頭は別ですが、身体面では動きやすくなったのかもしれませんね。

忘れられないあの平和への思いを受け継いで

—当時経験されたことが、その後どのようなことに活きたでしょうか?

帝京大学理工学部宇都宮キャンパスに招かれて、英語教育に参画。受身の翻訳英作文ではなく一定のテーマについて英語で書いて、発信し、論評し合う形式のWebCT(CAI類似)授業を始めました。一定の評価をいただいた。その中で2004年にアメリカ・コネチカット州の女性教師が投稿した英語俳句(下記参照)などを教材にしました。

 

  8:15

  11:02

  -remembrance

   –Annie Gustin (Connecticut)

   (出典:Asahi Haiku ist Network, August 9, 2004)

 

これは、「8時15分」「11時02分」原爆が広島、長崎に投下された時間ですね。Remembranceは「忘れない、忘れてはいけない」。「覚えておきなさい」じゃなくて「忘れられない」という意味になっています。そして発音すると “eight fifteen eleven o two remembrance” で、音節が三・五・三になっている。多くの英語俳句はその音節で構成されているのですが、見事にはまっているんです。学生も最初はわからなかったのですが、解説すると「おおっ!」とか「ええっ!」と感動の声が上がりました。

 

ふたたび緑豊かなミシガンへ

—1980年に教職員を対象としたミシガン州立大学でのサマーセッションを受ける研修にも参加されましたが、参加動機はどのようなものだったのでしょうか?

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自治医大の教員の頃、1980年6月から8月にかけて英語教授法の研究を主題にして訪ねました。医大生に向けた効率の良い英語教育を考えるのが私の使命と感じ、ヒアリングの向上に映画を導入したり、新しい教授法に触れるなど、後のCAI、コンピューター・アシステッド・インストラクションなどにかかわる基礎に目が向いたように思われました。

また、いろいろな講義を受ける中で心理学がありまして、その中でマズローの人間の欲求に関する心理学(注2)に出会いました。これは私にとって啓発的なものとなり、その後の教材準備の根本理念に意義ある変化を与えてくれたと思います。

「異文化理解」とはよく言いますが、「異文化理解及び無理解・停止」というものがあるんです。全くの無理解もあれば、一定の期間異文化の中にいると、慣れてしまいそれ以上探究しない状態で停止しまう。これは大抵の人が気づかないだけで、そういうものが存在する。またマズローの考えは、自分でより魅力的な教材を作ったり、参加の意欲を高める授業を企画する上でも好ましい影響を受けました。その意味で、ミシガン州立大ではそこへのとっかかりをいただけたと思います。

(注2)アブラハム・マズロー
米国出身の心理学者(1908-1970)。人間性心理学の最も重要な生みの親とされ、人間の欲求の階層(マズローの欲求のピラミッド)を主張した事で知られる。

 

これから海外へ向かう大学生へ

これから海外へ向かう現在の大学生へのアドバイスをいただけますでしょうか。

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語学力と一般常識が大切なのは言うまでもありませんが、やはり教訓としては安全管理の面ですね。1980年の研修の時に、自転車に乗っていたら買った本を入れたビニール袋がスポークにひっかかって転倒。その直後、卓球大会で優勝したことが災いしたこともあり、激しい痛みに襲われました。一度は手術をするかもしれなくなり、アメリカで手術なんかしたら100万円かかるかもしれないと心配になりました。幸いドクターのサインをもらって保険が効き、整骨院に3度行って治ったのですが、保険に入っていてよかったと思いました。自己責任と安全管理、信頼できる現地情報入手の意識を重視したいですね。

それから、短期・長期にかかわらず留学するならば、語学力とある程度の異文化理解の知識とリベラルアーツ、つまり一般教養の良識を養っておきたいです。それと日本についても紹介できる豆知識。これは重要だと思います。折り紙でもなんでもいいですから日本の文化を披露できるようなものがいくつかあるといいですね。 “empty shells”じゃなく、表現できる何かを持っていることはとても大事です。スポーツなどの特技や身近で得意な異文化のお土産など。実物を持って行くと中身のある交流のきっかけができやすいと思いますね。

 

飛び立つ前の手助けを

CIEEに期待することはありますでしょうか?

これまで通り優れたプログラムを積極的に紹介し続けられることを期待しますが、と同時に、やはりガイダンスとかオリエンテーションを大事にして欲しいですね。何事も “Look before jump”(ジャンプする前に回りをよく見る)と言いますから、若者たちが安全に海外へ行くために、何に前もって注意しておかなければいけないのかをきちんと教えてもらいたいと思います。

—本日はありがとうございました。

 

  • profile
  • 佐藤 直史(さとう なおし) 先生

    1966年 明治学院大学修士課程修了(英文学専攻)小樽女子短期大学専任講師
    1970年 同大学助教授

    1972年 自治医科大学助教授(英語学)

    1989年 帝京大学理工学部教授(英語学)

    2007年 帝京大学理工学部特任教授

    2012年 帝京大学理工学部名誉教授

    現在 地域小学校の英語教育のボランティア及び聖書教育のボランティアとして活動中

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